摂津国の中心であった大坂からの方位に基いて、島上・島下・豊島・能勢の四郡が「北摂」、川辺・有馬・武庫・菟原・八部の五郡が「西摂」と呼ばれた。
この場合の「北摂」が現在の大阪府北部を指すことになり、兵庫県南東部は「西摂」が指すところとなる。
一方、単に摂津国北部を意味する場合もある。
この場合の「北摂」が現在の兵庫県南東部、とりわけ川辺郡北部や有馬郡の旧郡域にあたる北部地域を含むことになる。特に顕著なのが三田市で、「北摂」を冠称のように使用している。
なお、兵庫県は阪神北地域を兵庫県域における「北摂」と定義している節がある。
古代より京から山陽道に抜ける西国街道が通り、豪族や寺社の荘園が広がる地域であった。
近世には幾つかの数万石クラスの小規模藩ができ、廃藩置県後に大阪府と兵庫県に分かれて属することになった。
明治中期以降、大手私鉄が中心となり、この地域を住宅地や歓楽街として開発していった。全国的に比較的早い時期での大手資本による街作りが行われた地域といえる。
1960年代以降には自治体等によるニュータウン開発も行われていく。
現在では、伊丹空港、東海道・山陽新幹線、名神高速道路、中国自動車道、阪神高速道路といった交通インフラが揃っており、他地域との住居人口の移動が多い地域でもある。
なお、建設中の新名神高速道路神戸ジャンクションから高槻第一ジャンクション間はこの北摂と称される自治体を大きく包囲するようなルートで建設中である。
by wikipedia(2012.4.21)